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皆さん、こんにちは。 さて、先月、立ち上げたブログ「銀将の祖先は虎だった。」について、 おかげさまで、開設して一ヶ月を迎えることができました。 立ち上げた当初は、Googleなどでまったく認知されませんでしたが、 定期的にご覧いただける方々のおかげで、検索しやすくなりました。 「将棋の歴史」に関する様々なことについて、意見交換できれば と思います。よろしく、お願いします。 小沼 諒 |
こんにちは。 さて、ブログ「銀将の祖先は虎だった。」において、これから、 将棋史について最初のハイライトである、中国の「玄怪録」の「宝応象戯」 の考察に入ります。 「玄怪録」は唐代に記された怪奇小説ですが、「宝応象戯」、 つまり、中国の象棋(=シャンチー)の祖先の記述がなされているとして、 日中の将棋・象棋の研究者の間では、よく知られた文献です。 しかし、いまだにこの「宝応象戯」について、正確に内容を把握できて いません。なぜなら、この「宝応象戯」は、中国のシャンチーの祖先では ないからです。 かといって、「シャンチーの祖先ではないらしい」という漠然とした 思いだけでは不十分です。 というのは、中国から日本に伝来した将棋の祖先について正確に把握 した者でなければ解けない謎解きが求められるからです。 「将棋の歴史」に関する様々なことについて、意見交換できれば と思います。よろしく、お願いします。 小沼 諒 |
こんにちは。 さて、おかげさまで、ブログ「銀将の祖先は虎だった。」を開設して2ヶ月 を迎えることができました。 将棋史において最初のハイライトといもいうべき、「玄怪録」の「宝応象戯」 の考察も佳境に入りました。 まず、この項では、「宝応象戯」が、シャンチーの祖先と異なることを明らか にします。 「宝応象戯」は、シャンチーの祖先に駆逐されることによって、中国において 絶滅した品種です。 しかし、完全に滅びたのかといえば、そうではありません。 その血筋は、今日の日本の将棋に脈々と受け継がれています。 引き続き、日本に伝来した将棋の祖先を明らかにすることによって、「玄怪録」 の「宝応象戯」こそ、(中国のシャンチーの祖先ではなく)日本の将棋に関連する 最古の記述として、日中両国において、再評価されることを期待します。 引き続き、「将棋の歴史」に関する様々なことについて、 意見交換できればと思います。 よろしく、お願いします。 小沼 諒 |
こんにちわ。 今まで、ブログ「銀将の祖先は虎だった。」において、「インドから 中国への将棋の伝来」を記述しましたが、4月8日(土曜)から、 「中国から日本への将棋の伝来」についての連載を開始します。 この章で、日本に伝来した「将棋」について、はじめてその真実 に触れることになります。 専門的な内容も含みますが、ぜひ、お付き合いください。 引き続き、「将棋の歴史」に関する様々なことについて、 意見交換できればと思います。 よろしく、お願いします。 小沼 諒 |
こんにちは。 5月の連休期間中、ブログ「銀将の祖先は虎だった。」も お休みしていましたが、本日5月9日(火)、再開しました。 これから、日本に伝来した「将棋」について具体的な考察に入ります。 よろしくお願いします。 小沼 諒 |
こんにちは。 さて、平安時代編纂の「二中歴」、中国唐代の「玄怪録」。 専門家によく知られた日中二つの文献から、「日本に伝来した将棋」と 中国の「宝応象戯」が、「虎(寅)=銀将の祖先」という共通駒の存在 によって、同一種であることを明らかにしました。 また、駒の性能、とりわけ「将(金将の祖先)」と「虎(寅、銀将の祖先)」 についても、正確に把握することができました。 この史実を踏まえて、6月3日(土)から伝来ルートの考察に入ります。 よろしくお願いします。 小沼 諒 |
こんにちは。 「(東アジア)将棋史の全体像を浮き彫りにすることによって、更なる発掘や発見の一助となりたい」 という願いから、ブログ「銀将の祖先は虎だった。」を公開してきました。 「(日本の)将棋史」については、大きく「伝来ルート」と「改良過程」の二部に分けました。 前半において、平安時代編纂の「二中歴」と中国唐代の「玄怪録」という日中双方の文献から、 「日本に伝来した『将棋』」と「中国の『宝応象戯』」と同一種であることを明らかにしたところです。 7月8日(土曜)から、後半の「改良過程」の考察に入りますが、「将棋史の全体像」を浮き彫り にするという観点から、踏み込んだ考察をしたいと考えています。 よろしく、お願いします。 小沼 諒 |
たいとさんへ 将棋チェスネットのTop Pageにリンクいただき、ありがとうございました。 大変、光栄に思いますし、名に恥じないようなブログ作りに心がけたい と思います。 今後とも、よろしくお願いいたします。 小沼 諒 |
こんにちは。 ブログ「銀将の祖先は虎だった。」において、原シャンチーから多大な影響を 受けることによって、「将棋」の改良がなされたことを明らかにしていますが、 いよいよ、9月12日(火)から、「漢字二文字の採用」の考察に入りました。 奇想天外なストーリーに思われるかもしれませんが、論理の積み重ねの結果 であることをご理解いただけると幸いです。 小沼 諒 |
こんにちは。 さて、12月7日(木曜)から、「飛車・角行・醉象」についての 考察に入りました。 一連の日本将棋の歴史の考察に関しては、これが最終章となります。 これら三種類の駒は「大将棋」において創られた駒で、おそらく 同時期に同じ改良者によって、「将棋」への導入が試みられました。 しかし、すでに採用済であった持駒制度との相性が悪かったために、 後に醉象のみ除去されたのです。 この章では、持駒制度、巨大将棋の発展、飛車・角行・醉象の導入、 醉象の除去、各々の関連について考察します。 年末差し迫っていますが、何卒、お付き合いください。 小沼 諒 http://blog.livedoor.jp/r_onuma/ |